【イベントレポート】「D.L.ブルスティン博士 講演会&シンポジウム」ワーキング心理学対話会

投稿者:polaris_noro

【イベントレポート】「D.L.ブルスティン博士 講演会&シンポジウム」ワーキング心理学対話会

2024年6月16日(日)、邦訳『人間の仕事:意味と尊厳』の著者であるボストンカレッジ大学院カウンセリング心理学部教授D.L.ブルスティン氏を招聘し、「21世紀の働くを考える会(代表作田稔氏)」の主催する講演&シンポジウム・対話会が開催されました。この講演&シンポジウム・対話会のパネリストの1人として、Polaris取締役ファウンダー(当時)の市川望美が登壇。「働く人の尊厳とウェル・ビーイングを守り、支えるためになすべきこととは~公共政策と働く未来を創る視点から~」をテーマに掲げ、博士が専門とする「ワーキング心理学」をベースに、キャリアについて多方面から活発な意見交換がなされました。

本記事では、その様子を一部お届けします。

イベント概要

日時:2024年6月16日(日)
場所:筑波大学東京校

■基調講演「働くことの意味と尊厳とウェル・ビーイング」
ボストンカレッジ大学院 カウンセリング心理学部教授 
Prof. David L. Blustein, Ph.D.

■対話会
パネリスト:
法政大学名誉教授 諏訪 康雄 氏
元 厚生労働省参事官(若年者・キャリア形成支援担当) 伊藤 正史 氏
非営利型株式会社Polaris取締役ファウンダー(イベント実施時) 市川 望美

司会:学習院大学名誉教授 今野 浩一郎 氏

当日の内容

ワーキング心理学の専門家が考える、働くことと人間の幸福との関係性~ブルスティン博士の講演~

基調講演に先駆け、「21世紀の働くを考える会」代表である作田稔氏から、今回の講演&シンポジウム・対話会の開催趣旨について紹介がありました。

「個人や組織にとって、超高齢社会が進む21世紀には、AIやロボットの活用など、困難な場面に直面する機会が増えていくと思っています。時代や状況は一昔前と大きく変わっています。私たちがウェルビーイングであるためにも、ただ働き方だけを検討すればいいのではなく、働くことの本当の意味、働くことが持っている役割、組織にとってどういう意味があるのかをもう一度捉え直すことが大事ではないかと思っています」

ここからは、『働くことの意味と尊厳とウェル・ビーイング』と題したブルスティン博士の基調講演について、概要をご紹介します。
※参加者には、英語と日本語のスライド資料が事前に送付されており、講演内容もそれに沿って進みました。

――ブルスティン博士による基調講演概要――

「ロボットやAIの活用は、世界的な潮流になっています。日本のあるホテルで妻と朝食を摂っていると、ロボットが食器を片付けているところに遭遇しました。こういった光景は、日本では割とよく見かける気がします。日本では組織的な心理学が進んでいること。非常に生産性が高く創造性が高いこと。G7の1つであり、非常に思いやりと慈悲のある社会が根づいていること。実は今回が初来日なので、日本のことをよく知らないのですが、日本に対してこういった印象を数日間妻と滞在する中で抱きました。

労働環境に限って言えば、日本は非常に高齢化社会が進んでいると聞きました。女性管理職の少なさ、短期雇用者や不安定就労の増加、所属企業に対する従業員のエンゲージメントの低下、さらには近年メンバーシップ雇用からジョブ型雇用にシステムを変えている企業も多いと報告を受けました。

キャリア開発や職業心理学および組織心理学の隣接分野では、主に職業選択の自由がある人々に焦点を当てています。しかし私は不平等な社会に人々を適応させるのではなく、システムの変革を促す知識を開発する必要があると感じました。より包括的で、学際的な学問分野や認識方法を受け入れ、社会的・政治的な考え方や価値観の統合を含む理論が必要でした。

「ワーキング心理学(psychology of working)」とは、心理学をベースにした新たな見解であり、すべての働く人と働きたい人々にとって、働くことが心理的だけでなく社会的にも満たされていること、働くことがもたらす役割と実践に対する学問です。仕事は、メンタルヘルスと生活と直結しており、仕事をすることで人とつながること、生存、自己決定への欲求が満たされることを理想としています。この考えをさらに発展させたのが「ワーキング心理学理論(PWT)」です。検証可能な理論へと発展させ、仕事とキャリアの全範囲を捉え、包括的で学際的分野の学問からなる理論を構築し、経済的および社会的要因を結びつけることを目的としています。また、ワーキング心理学理論(PWT)にILO(国際労働機関)の「ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」という概念を取り入れました。

私たちが開発した、ワーキング心理学理論(PWT)をベースとした介入モデルは、社会的正義と公平性に焦点を当てたモデルです。働く職場での尊厳や意味のある仕事の重要性を強調しています。また、労働条件の改善や労働者の自律性が労働エンゲージメントに与える影響についても研究しています。ワーキング心理学理論(PWT)は柔軟性のある、変化の理論です。変化は個人と制度の両方のレベルで現れます。仕事に関連する広範な問題の顕在的および潜在的な予測因子と結果を特定するような、知識と実践を明らかにすることをワーキング心理学理論(PWT)では目指しています。

法律、政策立案、支援団体~3つの立場から見る働き方の話

続いて、今回参加のパネリスト3名から、働くこと・キャリアに関するプレゼンテーションが行われました。

まず、法政大学名誉教授で、キャリア権*1の提唱者でもある諏訪康雄氏が、「職業生活を通じて幸福を追求する権利の実現について」をテーマに、キャリア権からキャリア教育の実情についてご説明されました。

続いて、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス 一般財団法人SFC フォーラム研究員で、元厚生労働省参事官(若年者・キャリア形成支援担当)の伊藤正史氏が、厚生労働省で長らくキャリア支援の政策立案に携わってきた視点から、キャリアに関する公共政策について解説くださいました。

最後に登壇した市川は、Polarisの紹介をしつつ、はたらき方においてPolarisが大切にしていることを紹介しました。

「特別なスキルがある人たちが自由に働くのではなく、子育て中の人でも、病気の人でも、介護をしている人でも、望めば誰でも働き方を選べるようにしたい。そんな想いから、「未来におけるあたりまえのはたらきかたをつくる」をミッションに掲げて、Polarisを創業しました。13年にわたり、組織や人々の関係性を大切にしながら、さまざまなチャレンジに取り組んでいます。

創業した頃は、労働市場での評価が低いことに自信を失い、仕事をしていなかった女性たちから、主婦をしている自分が働くことに罪悪感を覚える、社会から受け入れてもらえないと感じるなどの声が多く聞かれました。そうした経験から、それぞれが感じるはたらき方の当たり前を価値の源泉にすること、女性たちが自分の人生を主体的に生きることが、創造的な組織づくりに繋がると認識し、時代に合わせたはたらき方を提案してきました。

Polarisでは、キャリアブランクやキャリアロスといった言葉に対し、離職中に得た経験を価値に変えること、課題そのものを無効化することを目指しています。「くらしのくうき」というサービスは、マンション購入を考えている人向けに、子育て中の主婦たちが生活者として得てきた地域の情報を提供するもので、この事業に関わった女性たちは、社会と接点を持ち働くことができると、少しずつ自信を取り戻していきました。

Polarisはフラットな組織構造を持ち、多様なコミュニケーションを促進するために、現在はバディ制度やメンター制度を取り入れています。また、近年は出産を機に離職した女性たちだけでなく、20代から60代の多様なメンバーが関わっています。多様性を前提にした柔軟なはたらき方は、制約のある人々が関わりやすくなるだけでなく、より創造的な職場を実現することにつながります。それぞれの選択が尊重される環境を作ることで、心理的安全性やウェルビーイングの向上につながると考えているため、働く上での「心地よさ」を大切にしています」

*1キャリア権(right to a career)…誰もが自分の能力や希望に応じて仕事を選択できて、仕事や生活を通して幸福を追求できる権利。憲法13条(幸福追求権)、22条(職業選択の自由)、26条(教育・学習を誰もが等しく受けられる権利)、27条(労働権)にキャリアに関する内容が定められており、これらを改めて体系化した「理念的な権利概念」とされている。

キャリア開発のフィールドをもっと多様化させて広げていこう

プレゼンテーション終了後には、学習院大学名誉教授の今野浩一郎氏の司会で、ブルスティン博士と3人のパネリストによるパネルディスカッションが開かれました。

【テーマ1】
一昔前の日本の労働者は、労働意欲もエンゲージメントも高く、生き生きと、やりがいを感じながら働いていたが、現在では、労働意欲もエンゲージメントも低く、やりがいもあまり感じていない。理由はどこにあるか?

諏訪氏「一昔前には若い世代がたくさんいて、出生数も270万人くらいでしたが、出生率は年々下がってきていて、去年生まれたのは72万人台です。一方で高齢者の比率も上がっている。若い世代がたくさんいた人口ボーナス*2という頃から、人口オーナス*3という人口全体の変化が日本社会に効いているのではないでしょうか。

また、国の経済が伸びていくとある時点をピークに経済成長が止まって下がっていく時期が必ずあります。豊かにするために男性が一生懸命頑張るという時代から、女性や高齢者などいろんな人たちが働く時代へと変わりつつある中で、豊かさやゆとりを確保しながら、あるいは高齢者の方が増えていく中で生産性を維持し高めていくためにはどうすればいいのか、こうした問題に対する解決策が見つかっていないのが現状です」

伊藤氏「日本の労働者は、国際的に見て労働意欲が低い傾向があります。エンゲージメントやキャリア意識も高まっていませんが、ブラック職場の問題意識が働き方改革に繋がりました。企業も職場環境の改善やエンゲージメント向上に取り組んでいますが、対応が遅れています。また、転職機会が増えたことで不満が表面化しやすくなり、これが調査回答にも影響を与えていると感じます」

市川「息子たち(大学生)の世代を見ていて感じるのは、制度と個人が上手くフィットしていないということです。以前は社会が用意したストーリーに合わせて生きることで、ある程度の恩恵を受けていましたが、今の若い世代は恩恵を受けていないかもしれません。一方で、ダイバーシティや人権の教育も受けているので、人の役に立ちたい気持ちが強く、親世代よりも社会を正しく捉えようとしているところがあると思っています」

3人の意見を受けて、アメリカの現状を交えつつ、ブルスティン博士からも意見をいただきました。

ブルスティン氏「3つのプレゼンは非常に有益で、創造的でよく練られたものでした。皆さんのお話の中には私が「抵抗(resistance)」と呼んでいる考え方があります。顕在化していないものの、多くの人が抱えているものです。その点で、若者たちはメッセージを送っているのではないでしょうか。私たちベビーブーム世代は、若者が期待もせず必要とも思ってないかもしれないものを作ってきました。例えば、日本の製品の品質を考えてみましょう。日本の車は、米国で圧倒的に人気があります。ドイツ車も人気がありますが、経済的な点において、日本の車が群を抜いています。要は、若者はもっとバランスが必要だというメッセージを送っているのではないでしょうか。もう一つのポイントは、人々の働き方です。市川さんのコメントに触れると、人々は異なる働き方を見つけつつあり、これも一つの解だと思います。長期雇用の考え方は、日本社会だけでなく、多くの先進国で消えつつあります。大事なのは、変化はすでに起きているということです。公共政策に対する皆さんの対応は、とても素晴らしく、心に響きました。(中略)キャリアカウンセリングの発展は、これらの必要な変化への対応です。人々は、何をしたいのかだけでなく、人生において仕事とどのように関わりたいかについて、もっと時間をかけ、よく考えていくことが必要です」

*2人口ボーナス…生産年齢人口(15~64歳)が従属人口(14歳以下もしくは65歳以上)を大きく上回るもしくは増加し続けている状態
*3人口オーナス(onus=負担・重荷)…人口ボーナスの逆で、働く人の数よりも子どもや高齢者人の数が上回っている状態

【テーマ2】
キャリアに関する公共政策について、現在考えられることは?

諏訪氏「日本のキャリア政策は公共政策が先行しています。政策担当者たちがさまざまな施策や法律を整備しても、実態が追いついていない。特に男性の育児休暇取得率は約17%と低く、取得しても1週間程度です。これは文化や意識の影響が大きいためと考えられます。また、経済環境の変化や産業の海外移転により非正規労働者が増加しており、日本国内に産業空洞化と言われたような状況が生まれる。こうした構造的な問題が全体に動いてきている中で、政策当事者に危機感が高まっていて、国民も不安を感じています。しかし、全体の意識改革が進まないため、政府主導で関係者全員がキャリア政策に取り組む必要があります」

伊藤氏「新たな資本主義と労働市場の方向性に関して、コンセンサスが形成されつつありますが、実行方法に課題を残しています。今野先生が座長を務めておられる新しい時代の働き方に関する研究会、それを検証している労働基準関係法制研究会では、法規制や例えば補助金、給付金等の経済インセンティブを与える代わりに正確な情報発信を義務付けることによって、市場あるいは市場参加者がモニター、評価、判断基準にできるような環境整備、計画策定等で企業に対する何らかの義務付けなど多様な政策手段を提案しています。しかし、教育訓練給付制度などのリスキリング支援には改善の余地があります。労働力不足の中、企業は人材確保と定着のために行動を変える必要性を強く感じていますが、効果的な方法を模索している企業も多くあります。産業界の実例と情報発信が重要であり、行政もこれを後押しする役割を果たすべきです」

市川「Polarisは地域に活動の軸足を置いているので、キャリア開発や支援に地域の多様性が活かせることを期待しています。また、地域というフィールドにはすごく多様な人がいますが、1つの組織の中だけでは、キャリアのロールモデルを見つけにくい時代であると感じます。キャリア開発のフィールドを、1つの組織の中や、自分のいる場所だけでなく、より多様な主体が混ざり合ったところで開発できる機会も必要ですし、そうした環境下で活発なコミュニケーションが取れると、キャリア開発への発想が柔軟になっていくのではと思います」

伊藤氏「『キャリアの両属性、職場、企業がなかったらキャリアは実現しない』というようなことを先ほど話したんですが、よくよく考えてみれば、どの地域でも働いている人は必ずいますよね。従来の典型的な働き方を前提としたキャリア支援、あるいはそれに対応した政策の組み立て自体が行き詰まっているのかもしれません。多様な働き方に対応するため、キャリア支援者や政策セクターは具体的な事例やキャリア開発の実態を把握し、それに基づいて新しいキャリア支援手法を展開することが政策立案側にも求められているんだと思います」

ブルスティン氏「皆さんのお話に非常に感銘を受け、刺激を受けました。また、職業とキャリアを研究する日本の学者や実務者が公共政策にこれほどの影響を与えていることがうらやましくもあります。アメリカでは、意見を述べる場を得ることが大変難しいのです。あなた方が提示した仕事の質とアイデア、新しい政策が政府に採用されていることで、変化を実現するための入り口があると感じています。このアイデアをキャリアや仕事を研究する国際コミュニティや実務者と共有していただきたいと願っています。ありがとうございました」

今野氏「キャリア支援者あるいは政策セクターが実際に働いている人、あるいはこれから働こうとしている人と向き合い、彼らのキャリア形成へのマインドを上げていくことは絶対条件です。パネルディスカッションの最後に市川さんが話していたキャリア開発フィールドの多様化と広域化は、非常に重要な手段だと思います」

以上、パネルディスカッションの終了をもって、本イベントは幕を閉じました。課題提示・さまざまな立場からの意見交換を経て、それらを解決に導く未来への期待感が伝わってくる対話会でした。

まとめ

人はなぜ働くのか。この問いには「生活のため」「自己実現のため」「地域や社会のため」といったさまざまな答えが返ってくるでしょう。キャリアと言うと、特別なスキルを持った人だけが築いていける道といったイメージでしたが、ワーキング心理学は、会社に勤めることも含めて、その人に合った働き方を選ぼうとする意思を学問の分野から大きく後押ししているようでした。働き方を自らの意思で選べるようにするため、法律や政策の整備と共に、Polarisのように多様な働き方を実践するフィールドも広げていきたいものです。


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