予測できないから面白い
‐はたらくことをあきらめない「転妻」が手にしたものは‐

投稿者:スタッフポラリス

予測できないから面白い
‐はたらくことをあきらめない「転妻」が手にしたものは‐

いつ出るかわからない辞令。その度に引っ越しを繰り返す転勤族。厚生労働省の独立行政法人である「労働政策研究·研修機構」が行った調査によると、現在日本の正社員の3割以上が転勤族であるというデータもあり、その数は500万人にものぼる*といわれています。転勤族のパートナーを持つ妻、いわゆる「転妻」は、これまでパートナーの転勤に同行するために、自ら築いてきたキャリアを手放さなくてはならず、人生に対する不安から「転勤うつ」を発症する人もいるといいます。また、いざ仕事をしようと思っても、転勤の不安から踏み出せない転妻も少なくありませんでした。
 しかし、最近では場所を問わず「仕事をどのように切り拓いていくか」ということが注目されはじめ、新しいはたらき方を模索する転妻が増えてきています。Polarisのメンバー、野津沙耶香さんも「転妻」のひとり。同じような悩みを抱えていましたが、現在はご主人のオーストラリア駐在に同行し、現地からオンラインで日本とつないで仕事をしています。「転勤」という不安定要素を抱えながら女性がはたらく、ということについて考えてみました。

*出典:企業における転勤の実態に関するヒアリング調査(独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)

海外駐在のスキマで見つけた新しいはたらき方

――現在、オーストラリアのメルボルンで暮らしながら、日本のデザイン会社や不動産会社の業務サポートやプレスリリースの制作など、多岐にわたる業務を担当している野津さん。どのような経緯を経て、Polarisでお仕事をするようになったのでしょうか。

野津さん:学校を卒業した当初は、信販会社の事務職としてはたらいていました。結婚·出産後も仕事を続ける予定でいましたが、出産と同時に夫のアメリカ留学が決まり、退職を余儀なくされました。帰国後、駐在前まで働いていた信販会社の再就職制度を利用するつもりでいたのですが、子どもの預け先を見つけることができずにいるうちに、今度は夫のタイ駐在が決まってしまって…。結局再就職を断念しました。

専業主婦という選択は自分が望んでいたことではなかったのですが、もう一度はたらくことには大きな壁がありました。帰国後チャレンジして採用された仕事を、突然の辞令でやめざるを得なかったという経験もトラウマになっていたのだと思います。

きっかけは2013年、タイから帰国して間もない頃でした。何気なく観ていたニュース番組で、Polarisの「セタガヤ庶務部」の存在を知りました。子育てや介護で時間、場所の制約がある女性たちが、今の暮らしも大事にしながらはたらける場所。これだ!とすぐに問い合わせました。登録した当時は、これからどのようにはたらいていきたいか、という将来的なビジョンについてあまり深く考えていませんでした。ただ、今もこうして海外にいながらお仕事をさせていただいているので、よいご縁だったな、と思っています。

フリンダース駅はメルボルンの玄関口。

時間を柔軟に組み立てることでうみだされる「はたらく時間」

――海外と日本では生活事情も異なることが多いと思います。お仕事をするうえで、普段から心がけていらっしゃることはありますか。

野津さん:オーストラリアは日本との時差も1時間(サマータイムでは2時間)しかなく、幸い時差を気にする必要はありません。しかし、日本の祝日などを忘れていると、先方に確認をとりたいときに取れず困ることがあります。祝日を把握し、普段から作業を前倒しで進めるように心がけています。

生活事情は日本とは大きく違っています。メルボルンでは、日本のように交通網が整っていないので、子どもたちの学校や習い事への送迎は親の仕事です。実際に、毎朝8時には中学3年生の娘を片道約30分かけて学校まで送り、15時に再び学校に迎えに行く、というのが日課になっています。1日のうちで子どもの送迎に充てる時間は、一般的な日本の事情に比べると長いかもしれません。業務に充てられるのは送迎の間の時間だけです。でも、長期休暇を除けば基本的に送迎のスケジュールは決まっているので、それにあわせて時間を有効的に組み立てれば、業務に支障がでることはありません。

――昨年からのコロナの蔓延で、オーストラリアも大変だったと聞きます。業務にも影響があったのでしょうか。

野津さん:コロナの影響でオーストラリアは国境を閉ざし、今も(2021年5月末現在)長期的なロックダウンが行われています。オーストラリアはもともと日本より広大な土地を有しているので、近所に何軒もスーパーマーケットがひしめくような環境には恵まれていません。トイレットペーパーや生活必需品がスーパーの棚から消えたときは、スーパーをはしごするのに車を走らせ、移動時間に多くの時間を費やさなければなりませんでした。いつもなら業務に充てられるはずの時間に家に帰ることができず、焦る気持ちで車を走らせていたこともあります。でも、「昼間は買い物の時間、夜は業務の時間」と気持ちを切り替え、割り切るようにしました。柔軟に時間を使うことができるのも、Polarisの仕事のメリットだと思います。

ロックダウン中のスーパー。棚からは生活必需品が消えた

Polarisで得た精神的な支えが、不安定な事情をもこえていく

――2013年からPolarisではたらかれている野津さんですが、これまでご自身の中で変化はありましたか。またPolarisは野津さんにとってどのような存在なのでしょうか。

野津さん:コロナが世界的にはやり始めた2020年3月から現在に至るまで、オーストラリアは国境を閉鎖しています。また、メルボルンでもロックダウンが長期にわたって導入され、当時中学2年生だった娘は、トータルで4ヶ月ほどしか登校できず、ほとんどがオンライン授業でした。夫も1年近くリモートワークを強いられました。でも、Polarisの仕事は在宅でできるので、このようなときでも大きな影響はありませんでした。今も4回目のロックダウン中です。これがいつまで続くのか、また5回目があるのか、生活をするうえでは気になりますが、業務に関してはもはやロックダウンを大きな問題だとは思わなくなりました。

再就職への道が拓けなかった時期、社会から取り残されたような寂しさを味わうこともありましたが、Polarisではたらき始めて「今の自分に出来る仕事を、できるときにする」ことが大事なのだ、という意識に変わっていきました。そして今、今度は遠く離れた地でも業務に携わらせてもらって、「日本と繋がっている」と実感しています。オーストラリアでの生活は充実していますが、やはり言葉や食べものも違う異国で暮らす中で、常に日本との繋がりを保ち続けていられる、というのは精神的にとても大きな支えになっています。

キャンプ場では野生のコアラをみかけることも。
オーストラリアならではの日常を楽しめるのも日本との繋がりがあるからこそ。

――野津さんご自身、これからどのようなはたらき方をしていきたいですか。

野津さん:これまでも様々な場所を転々としてきましたが、今後も夫の辞令次第では、いつ、どこに引っ越しをするのか、それが日本なのか、海外なのかもまったく見当がつきません。さらに娘が15歳になり、色々と難しい年齢になってきたので、彼女の気持ちも大事にしてあげなくてはいけないな、と感じています。そういう意味では、私の今後は自分でも予測できない面白いものだな、と思っています。娘を出産した15年前には、海外に住みながら在宅で仕事ができるなんて想像もつきませんでした。時代とともにはたらき方は多様になったと思います。外ではたらいてみたい、という気持ちもありますが、私にはPolarisではたらく今のスタイルがあっているので、きっとしばらくは現状と変わらないスタイルではたらいていくのだと思います。


自分の「はたらきたい」という思いと同じように、妻として、母として、日々家族の思いも受け止めている転妻たち。「転勤」という不安定要素を抱えながら新しい一歩を踏み出すのは、容易なことではありません。

Polarisでは、子育てなどではたらくことに制約がある人たちが、時間や場所に左右されずにはたらくことができるよう、オンラインでの業務を中心に行ってきました。そのため、いつ引越しをするかわからない、という「転妻」たちも安定して業務を担当できる仕組みになっています。

今回、Polarisの柔軟なはたらき方は、コロナのような社会的に大きな変化にも左右されずに存続し続けることができると証明してくれています。しかし、Polarisではたらくということの意味は、どんな状況でも変わりなく仕事を続けられる、という物理的な安定以上に、仕事を軸とした精神的支えの基盤を獲得する、というところにも見出せるのかもしれません。
自分の今後について「予測できないから面白い」と前向きに受け止められるようになった野津さんのことばは、多くのことを語ってくれています。


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