「リスキリング」という言葉を見聞きする機会が増えてきました。「リスキリング」は、「再び」を表す「re」と「能力」の意味の「skill(スキル)」の進行形が組み合わされた言葉で、「再教育」や「新たな能力(スキル)」の獲得を意味しています。
リスキリングの意味するところ、注目される背景、リスキリングで何が変わっていくのか紹介します。
経済産業省の「デジタル時代の人材政策に関する検討会」の委員も務めた(株)リクルート・リクルートワークス研究所の石原直子さんは、同検討会の資料の中で、以下のようなリスキリングの定義を紹介しています。
リスキリングとは「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」
出典:「リスキリングとは―DX時代の人材戦略と世界の潮流―」
第2回「デジタル時代の人材政策に関する検討会」資料
この資料の中で石原さんは、デジタル化が進むことによって、新たなスキルの習得(リスキリング)を考える人が増えているとして、次のような説明もしています。
近年では、特にデジタル化と同時に生まれる新しい職業や、仕事の進め方が大幅に変わるであろう職業につくためのスキル習得を指すことが増えている
出典:「リスキリングとは―DX時代の人材戦略と世界の潮流―」
第2回「デジタル時代の人材政策に関する検討会」資料
単に新しいスキルを習得するのではなく、デジタル化、あるいはデジタルトランスフォーメーション(DX)を進める、対応するという意味合いで使われることが多いのが、最近のリスキリングに関する重要なポイントの1つです。
それでは、どのようなきっかけでリスキリングが注目を集めるようになったのか、世界的なきっかけと、日本でのきっかけを確認しましょう。
世界的にリスキリングに注目が集まるきっかけの一つが、世界を代表する企業のトップや政治家、市民社会のリーダー、研究者らが集まる世界経済フォーラムの年次総会(通称:ダボス会議)で、「リスキル革命」をテーマにしたセッションが行われるようになったことと言われています。
ダボス会議が「リスキル革命」に関するセッションを始めたのは、2018年1月の会議。2020年のダボス会議では、2030年までによりよい教育、スキル、仕事を10億人に提供することを目指す取り組み「リスキル革命」イニシアチブが発表されました。
日本国内で関心が高まったのは、2022年秋。この年の10月、岸田文雄首相が今後の政策や重点課題を説明する国会の所信表明演説の中で、「個人のリスキリングに対する公的支援として、5年間で1兆円を投じる」と明らかにしたことでした。
また、リスキリング、すなわち、成長分野に移動するための学び直しへの支援策の整備や、年功制の職能給から、日本に合った職務給への移行など、企業間、産業間での労働移動円滑化に向けた指針を、来年六月までに取りまとめます。特に、個人のリスキリングに対する公的支援については、人への投資策を、「五年間で一兆円」のパッケージに拡充します。
出典:首相官邸ウェブサイト 第二百十回国会における岸田内閣総理大臣所信 表明演説
具体的に、リスキリングとはどのようなことを目指し、どのように進められるものなのか。デジタル分野の変化に対応した象徴的な例を見てみましょう。
リスキリングの先駆け的な取り組みで、「米国企業史上最も野心的」と言われているのが、電話をはじめとする通信事業の大手で、ワーナーメディアを傘下に持つAT&Tの実践です。
従来の同社の収益の柱はハードウェア分野でしたが、スマートフォンの利用拡大や通信の高速化を受け、ハードウェア分野の収益の大半をソフトウェア分野の置き換えることを決断します。そのために行った社内調査の結果は、衝撃的なものでした。
「25万人の従業員のうち、未来の事業に必要なスキルを持つ人は半数に過ぎず、約10万人は10年後には存在しないであろうハードウェア関連の仕事のスキルしか持っていない」
出典:「リスキリングとは―DX時代の人材戦略と世界の潮流―」
第2回「デジタル時代の人材政策に関する検討会」資料
同社は、2013年に「ワークフォース2020」というリスキリングのイニシアティブをスタートし、2020年までに10億ドルをかけて10万人のリスキリングを実行。社内技術職の80%以上が社内異動によって充足されるようになり、経営や事業の転換に成功したのです。
リスキリングは元々、社内の人材が新しいスキルを身に付け、それにより会社が新たな分野の取り組みを拡大するというものでした。しかし、日本では、スキルアップによる転職もリスキリングとして考えられているような部分もあります。
リスキリングの言葉が今ほど注目される前の2018年から開設されているのが、「第4次産業革命スキル習得講座」(通称:Reスキル講座)です。
当初は、クラウドやIoT、AI、セキュリティ、ネットワークなどの講座が対象となり、2023年10月からはDXに関する講座が追加されます。
対象分野
出典:経済産業省「第四次産業革命スキル習得講座(Reスキル講座)認定制度~制度説明資料~」
①IT分野
-新技術・システム:クラウド、IoT、AI、データサイエンス(デザイン思考、アジャイル開発等の新たな開発手法との組み合わせを含む)
-高度技術:セキュリティ、ネットワーク
-デジタル・トランスフォーメーション(DX)推進に関する知識及び技術:ビジネスアーキテクト、デザイナー、データサイエンティスト、ソフトウェアエンジニア、サイバーセキュリティ※2023年10月より追加
②IT利活用分野
-自動車モデルベース開発、自動運転、生産システム設計
経産省の認定を受けた「Reスキル講座」を、企業が人材育成のために従業員に受講させた場合、「人材開発支援助成金」の助成対象となります。最大で75%の経費助成、1人1時間あたり960円の賃金助成があります。
Reスキル講座のうち厚生労働省が定める一定の基準を満たし、厚生労働大臣の指定を受けた講座について、労働者等が受講・修了した場合に、最大で受講費用の70%(上限年間56万円)が支給されます。
経済産業省は2020年度からは、「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業」を展開しています。
同事業のウェブサイトのトップページには、「新しいスキルで、新しいチャンスを」というキャッチフレーズがあり、「転職をご検討の方」のページに進むと、こんな見出しがあります。
出典:経済産業省 リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業 ウェブサイト
- 「キャリア相談」「リスキリング」「転職」までを一体的に支援
- 転職を実現し、継続就業すれば、最大56万円の補助
この事業では、在職者が、この事業に参画する事業者(事業への参画が採択された事業者)が提供するリスキリング講座を受けると、受講費用の1/2相当額(最大40万円)が事業者に補助され、受講者は補助分が軽減された価格で講座を受講することができます。
事業が提供する講座には、ウェブデザインやプログラミング、データサイエンス、CADなどのほか、起業や介護に関するものもあります。
リスキリング講座を受講して実際に転職し、その後、1年間就業が続くと、当初の補助に加えて、受講費用の1/5が追加で補助されます。転職が前提のリスキリング支援の制度ということがわかります。
経済産業省は、「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業」の説明資料の中で、この事業を進める背景として、「物価高克服」と「経済再生の実現」をあげています。具体的には、以下のような説明をしています。
「物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策」(令和4年10月28日閣議決定)(抄)
出典:経済産業省「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業について」
第1章
経済の現状認識と経済対策の基本的考え方
(構造的な賃上げ)
目下の物価上昇に対する最大の処方箋は、物価上昇を十分にカバーする継続的な賃上げを実現することである。
(中略)
賃上げの流れを継続・拡大していくため、賃上げが高いスキルの人材を惹きつけ、企業の生産性を向上させ、それが更なる賃上げを生むという「構造的な賃上げ」を実現する。物価高が進み、賃上げが喫緊の課題となっている今こそ、賃上げ、労働移動の円滑化、人への投資という3つの課題の一体的改革を進めていく。
第2章
経済再生に向けた具体的施策
III「新しい資本主義」の加速
1.「人への投資」の抜本強化と成長分野への労働移動:構造的賃上げに向けた一体改革
デジタル分野等の新たなスキルの獲得と成長分野への円滑な労働移動を同時に進める観点から、3年間に4,000億円規模で実施している「人への投資」の施策パッケージを5年間で1兆円へ拡充する。
在職者のキャリアアップのための転職支援として、民間専門家に相談して、リスキリング・転職までを一気通貫で支援する制度を新設する。
経済産業省の「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業」の説明資料では、日本では他の国と比べ、「学び直しを行っていない人の割合が高い」などとして、関連の調査の結果を紹介しています。
出典:経済産業省「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業について」
また、経済産業省の未来人材会議で提出された同省の「関連データ・政策集」には、「日本企業のOJT以外の人材投資(GDP比)は、諸外国と比較して最も低く、低下傾向」だとして、以下のような調査結果も掲載されています。
出典:経済産業省「関連データ・政策集」(第5回未来人材会議資料)
仕事で求められる知識やスキルを、時代の変化に合わせて「学び直す」という取り組みでは「リカレント教育」もあります。リスキリングとリカレント教育は何が違うのでしょうか。
リカレント教育について、政府は、次のような説明をしています。
リカレント教育とは、学校教育からいったん離れて社会に出た後も、それぞれの人の必要なタイミングで再び教育を受け、仕事と教育を繰り返すことです。
出典:政府広報オンライン「『学び』に遅すぎはない!社会人の学び直し『リカレント教育』」
リクルート・リクルートワークス研究所の石原さんは、経産省の検討会の資料で、「リスキリングは、リカレント教育ではない」と明確に断言しています。
リスキリングは「リカレント教育」ではない
出典:「リスキリングとは―DX時代の人材戦略と世界の潮流―」
リカレント教育は「働く→学ぶ→働く」のサイクルを回し続けるありようのこと。新しいことを学ぶために「職を離れる」ことが前提になっている
第2回「デジタル時代の人材政策に関する検討会」資料
リスキリングは職を継続したまま、時代に合わせたスキルを学び直し、仕事に活用していくことと言えそうです。
岸田首相は、リスキリング支援の拡大をアピールした所信表明演説で、「年功序列的な職能給からジョブ型の職務給への移行」も打ち出しています。岸田首相や政府が進めるリスキリングの定義については異論もありますが、この働き方の改革には賛同する意見が多いようです。
「日本の企業は人に投資せず、日本では個人も学ばない」という傾向も見える中、リスキリングが個人のスキルに対する評価を変えていくのでは、という指摘があります。
リスキリングに注目が集まることで、日本型の雇用や個人のスキルの評価が変化していくかも知れません。
Polarisのミッションは、「社会の文脈を変え、『未来におけるあたりまえのはたらきかた』をつくる」です。ビジョンは、「『心地よく暮らし、心地よくはたらく』」ことが選択できる社会へ」です。
人生100年時代の生き方(100年ライフ)のデザインや、ウェルビーイング/ウェルビーイング経営などについても提案するPolarisが考えるリスキルには、例えば、次のような要素があります。
1つは、暮らすことと、はたらくことを融合するためのスキルの獲得です。
これまでは、フルタイムではたらくことに制約のある人が、暮らしの中に“やむなく”仕事を持ち込むということがありました。
リスキルを通じて、暮らすこと・はたらくことが分断されない生き方を追求することから、「持続可能な暮らし方・はたらき方」のヒントが見つかるようにも感じます。
2つめは、チームやコミュニティ、まちのためのスキルという考え方です。
これまでのスキルには、社員が会社に提供する価値という側面が強く、この価値の大小が評価や出世につながってきたのではないでしょうか。
しかし、チームやコミュニティにとっては、すべての人が同様のスキルを持つ必要はありません。中に必要なスキルがあり、状況が変化したときにも新たなニーズに応えられるスキルがあること、あるいはそのスキルを持つ人が現れることが大切です。
新たに出現したスキル(リスキルで生み出されたスキル)は、新たなサービスを提供し、新たな仕事を生むこともあるでしょう。
3つめは、自分を見直し、学び直すことです。
自分のライフステージを振り返ることで、自分が持っているスキルを確認することができます。自分を見直す作業を他人と一緒に行うことで、自分が気づいていなかったスキルや可能性に気づくこともあります。新たな環境に飛び出すことで、新たな学びや発見も生まれるでしょう。
より深い学びのためには、技術的なことや断片的なことを接ぎ木するのではなく、土台を耕すことも大切です。Polarisでは、学び事業「自由七科」を展開し、その中で、「はたらく」を考える座談会なども開催しています。
リスキリングやリカレント教育が広がることは、多様で柔軟なはたらきかた・暮らし方のきっかけになります。Polarisとしても、この動きに注目しています。
※本記事は2024年2月7日時点の情報をもとに執筆されています。
関連記事:ソーシャルビジネス用語集
#1「非営利型株式会社とは」
#2「インキュベーションとは」
#3「コミュニティマネージャーとは」
#4「ソーシャルビジネスとは」
#5「ウェルビーイングとは」